mogmeeの日記

流れ流れて〜東京〜静岡〜兵庫〜群馬〜北海道

神戸から群馬へ

通常の内示の時期をとっくに過ぎてから言い渡された突然の転勤。

 

神戸へ引っ越してから一年半。息子は幼稚園の年中へと進級し、私も幼稚園ママ生活2年目。息子の入院や、夫が鬱気味になっても、私自身は知り合いも増え、愚痴を言えるママ友もできて、それなりに適応し、楽しめていました。

(二人目不妊には悩んでいたけれど。。ほんと、環境変わったらできる説どこ行った?って感じで。。)

神戸・関西という場所が良かったのか、学生時代の友達が遊びに来てくれたり、静岡で出会ったママ友と再会し、遊んだり、縁のつながりを感じて、転勤生活も悪くないなーなんて、まだ思えていました。

 

そこへ突然の群馬県高崎市への転勤辞令。

ぐ、ぐ、ぐんま。。!?

予想もしていなかった場所への引っ越し。

群馬、子供の頃温泉へ行った記憶くらいしかない未知の場所。

正直、行きたいと思わない場所でした。北関東・・!?(ごめんなさい)

 

しかも幼稚園も中途半端な時期に転園することになる。

 

しかし悩む暇などございません。

行けと言われたらノーとは簡単に言えない。行くしかない。

決まったらすぐ物件を見に行く手配が進んで行く。

 

物件も数少なく、選択肢も少ない。

限られた家賃上限の中から、いつも妥協の連続。

絶対住みたくないと思ってた大○建託の物件に住むことに。

しかもツバメの巣がある。。。全然住みたくないですが!他はもっと住みたくないんだよー!という感じで、決まる。駅、小学校が近い、幼稚園も徒歩圏内。

群馬は車社会なので、駅近ってそんなに重要じゃないのだけど、今思えばそれなりに好条件の物件でした。

そして、決めた物件から近い幼稚園に電話。

静岡で選んだ幼稚園を離れてからは、幼稚園選びにこだわりはなく、家から近いところ。

 

どうなるどうなる、群馬での生活。

物件が決まるととてつもなく大きな不安の波に飲まれます。

物件見に行くまでは小旅行気分でウキウキしてたりするんだけど。。

 

そして、あっという間に神戸を後にする私たちなのでした。

予想外の転勤*玉突き人事と夫の希望

中には2週間前に転勤の辞令が出るなんて職種の方もいるようですが、

夫の会社は通常1ヶ月以上前には内示が出ます。

(それでも月末とか。。年々遅くなってる気もする)

 

この時は、夫が鬱気味で会社を休んだ時、人事部と何度か面談をしていました。

上司への不満を伝え、以前の部署へ戻りたいと訴えたようです。

成績の良かった夫の神戸本社への転勤は、いわゆる栄転というやつでした。

 

この時の上司は、社内でも評判の悪いクセの強い方ではあったようですが、夫とは特に相性が悪かったようです。

どこにでも嫌な上司っていたりするし、その人以外に頼って切り抜けることもできたかもしれないのに、ワガママで人間関係に不器用な夫。

人事に不満を伝え、本人にも不満を伝え、面談を何度か繰り返したようです。

結果、

 

夫→群馬へ転勤

上司→本社内で部署移動

 

この時、たまたま、退職する人がいて、その穴埋めで、夫を抜擢する事にしたようです。

希望通り?以前の部署へ戻ることとなりました。

何の因果か、退職する人は、夫が東京支店時代に教育した後輩でした。

 

タイミングよく欠員が出たため、夫の不満を聞き入れてくれての配慮、とも取れるし、

いうことを聞かない生意気な社員の左遷、とも取れるような人事でした。

 

これを受けて、夫は何故自分が本社を出るんだって、怒ってた。

いや、だから、訴えてた希望通りじゃん、て。

できれば本社内で異動したかったみたい。

 

その時のLINE確認したら、

札幌、福岡、四国、広島、金沢じゃなくて良かったし、私の実家も近いし、まだ良かったかな・・って夫言ってた。

私の実家が高速で2時間の距離になります。

群馬は空港がないので、夫の実家へは帰りにくくなります。

夫の実家とは神戸にいる間も程よい距離間でしたが、

群馬に行ってからは、1度くらいしか家族では帰省していないかも。。。?

 

この予想外の転勤から約2週間で引っ越しました。

 

 

 

 

 

予想外の転勤

神戸に引っ越して、約一年半。

息子は幼稚園年中になり、時々泣きながらもだいぶ慣れてきた様子。

春からヤマハ音楽教室にも通い始めました。

私は一人時間を自由に過ごし、二人目がなかなかできない事に悩んではいたけれど、息子の幼稚園を通しての出会いをそれなりに楽しんでいました。

降園後は隣の公園にほぼ毎日寄ってたなー。

行くのは嫌がるくせに、公園では最後まで帰らないタイプの息子。

お母さんたちと少しずつ仲良くなり、話すのが楽しかったな。

 

幼稚園生活に親子で慣れてきた頃、突然夫からの電話

転勤だって。群馬。

。。。!!

夫の会社は年2回異動のタイミングがあります。

7/1〜または1/1〜配属の2回。

神戸に来たときは1月1日からの新部署勤務で、

11月後半に辞令が出て、12月24日に引っ越しました。

 

群馬への辞令が出たのは6月11日。

7月の異動であれば

遅くとも5月後半には出ているので、完全にないと思っていました。

辞令が出そうな頃、夫は人事の鍵を握る方と個人的に面談をしていたようで、転勤かもねとは少し話していたけど、結局なかったねーって感じで。。平和に過ごしていたのに・・!

 

とにかく予想外の転勤でした。

 

次回へ続く。

 

 

神戸生活*お出かけ編

神戸に住んでいた時に出掛けた場所の記録です〜

 

王子動物園

六甲山牧場

神戸アンパンマンミュージアム

こべっこランド

ウミエ

ハット神戸

ポートタワー

中華街

三宮

生田神社

須磨海浜公園

須磨浦公園

有馬温泉

夙川の桜並木

西宮ガーデンズ

芦屋のプール

淡路島

淡路ハイウェイオアシス

明石海峡公園

明石市天文化学博物館

尼崎キューズモール

アドベンチャーワールド(和歌山)

京都鉄道博物館(京都)

天橋立(京都)

厳島神社(広島)

海遊館(大阪)

キッズプラザ大阪(大阪)

 

…めっちゃ出掛けてる!

1年半しか住んでないのに、めっちゃ出掛けてる!!

そういえば、友達に会う機会も多くて、静岡時代に知り合ったママ友が大阪にいたり、大学時代の友達が帰省ついでに会いに来てくれたり、旅行ついでに会いに来てくれたり。

幼稚園ママも魅力的な人ばかりだったし、転勤先でも嬉しい出会いがたくさんあったんだった。

幼稚園のママ友と、スタジオに入って数年ぶりにドラムを叩いたのも良い思い出。

 

1年半、息子も私もようやく慣れてきて、日々充実し始めたところだったかもしれない。

息子の幼稚園を通して素敵な出会いがたくさんあった。

 

神戸を離れる時に感じた、もう少しいたかったなって気持ちは、それだけ充実していたんだなってことか。1年半しかいなかったのにね。

…転勤生活楽しんでるじゃん、私。

こんなに楽しめたのは、人との繋がりがあったおかげだなとほんとに思う。

 

神戸から京都大阪にもすぐ足を伸ばせるので、出かける場所はたくさんあります。

息子が病気になったり、夫が鬱になりかけたり、二人目できなくて悩んだり、マンションに不具合があったり、色々あったけど、神戸生活、楽しめました!

 

 

神戸生活*神戸はこんなところ

神戸という街の響きが好きです。

なんかお洒落、外国文化、洋食、パンが美味しい…え、そんな程度のイメージしかなかった。

 

海があって、山があって、人口約150万人の都市です。大阪市の人口が約275万人だそうで、比べると規模は小さいみたい。ちなみに京都市で約145万人。

いずれも十分大都会ですが、神戸のママさんが、大阪に出ると人の多さに疲れるとか、自転車のスピードが異様に早いって言ってた。

神戸の人の方が落ち着いていて、おっとりしているってことだったのかな。

逆に大阪の人が神戸に住むと、もう戻れないとか。

(もちろんいろんな人がいるだろうけど)

あとは、幼稚園のママさんはお洒落な人が多かったなー。

 

海と山に囲まれて、平地が少ないのは静岡と一緒。

でも神戸の方が平地はもっと少ないかも。平地の土地代がものすごく高い。(我が家のような庶民にはってことですが…)

海側へ埋め立てて土地を増やしたり、山側は坂道がすごい。

山を切り開いてたてた街並みは海を見渡せて景色こそ良いけれど、あの坂道生活はなかなか過酷だと思う。

けど、高級車に乗っているお金持ちが住んでいるのは山側。

坂道だらけなので、横に移動できるかどうかも重要だったりして。

(→駅までの道とか)

 

そして夏は暑くて、冬は寒かった。

汗の止まらない蒸し暑さとアブラゼミの大合唱、六甲おろしが肌に刺さる厳しい寒さ。

雪も積もらないけど少し降ります。

静岡から引っ越した年は、寒くてアウター買い換えました。(お尻まで隠れるやつ)

 

阪急・阪神・JR、電車もバスも便利な街です。

駅は震災後に立て直されたようで、きれいでした。

復興を遂げて、多くの人が住む魅力的な街であることは間違いないと思います。

 

以上、私が思い出せる神戸の街並みについてでした。

 

お出かけ編はまた次回書こうっと。

 

夫うつ病?

神戸へ引っ越して、半年ほど経つと、息子が川崎病になり、2週間入院しなければなりませんでした。

まだ知り合いもほとんどおらず、頼れるのは夫だけ。

夫の実家は割と近かったのですが、ご両親は高齢だし、これまでも離れて過ごしていたので、日々の事を頼れる存在ではありませんでした。ですが、夫が実家に連絡した際には、入院時に必要なものを(スリッパや洗面器など)義理母が教えてくれたようです。

お見舞いにも来てくれました。

普段は実家を毛嫌いしている夫ですが、あの時は心強かったのではないかと思います。

 

そして退院後、夫が少しずつ会社を休むようになりました。

夫は新入社員時代、休職していたことがありました。私と出会う前の事でしたが、それを聞いた時には、復帰できたことがすごいね、という事を伝えたと思います。

出会った頃は、仕事も趣味も充実していたようで、休むような人には見えませんでした。

理由はひとつではなかったとは思いますが、その時の上司との関係に悩んでいたようです。

 

神戸でも上司との相性が悪かったのと、初めての仕事で、わからないことが多かった為か、遅くまで飲んで、帰宅してはぶつぶつと、上司の文句を言ったりしていました。独り言なのですが、怖かったです。

そして休み始める。休んで寝ている。

困りました。息子も泣いて幼稚園を嫌がる、夫も会社に行きたくない。知り合いもいない中必死で慣れようと努めているのは私だって同じ。

私には夫がとてもわがままに思えました。

夫の仕事で引っ越しをしているのだから、前向きに、家族を思って頑張って欲しい。家族を大切に思う気持ちがあれば、乗り越えるしかないのではないか、と。

誰にだって嫌なことはあるし、合わない人もいる。折り合いつけて頑張ってくしかない。

そんなふうにしか思えないし、声をかけれませんでした。

 

夫は細かい事によく気がつき、普段生活の事に関してはしっかりしているし、頼りになります。けれど、他人の言動に敏感で、傷つきやすい面もあるようです。

また、ネガティブなのにプライドも高く、評価されない事に耐えられないと見受けられます。

書いてるだけて苦しい生き方してるなと思う。

 

転勤とうつ病

理想の自分と希望の仕事、現実の自分と未知の場所と仕事。

異動の度に心を病んでいては、付いて行く家族も笑顔にはなれませんよね。

 

休みがちになった夫に対して、会社は話を聞いてくれたり、励ましてくれる人もいたようで、少しずつ元気にはなって行きました。

まぁ、慣れたのだろうと思います。

が、後々この上司と反りが合わないということが、次の転勤に影響を与えます。

 

ちょっと暗い内容になってしまいましたが、神戸にいる間、それなりにいろいろなところへ出掛けて、楽しい思い出もあるので、次回はそれも記録していこうと思います。

  

二人目不妊と神戸での通院

息子が2歳になり、二人目を考えるようになりました。

私自身が3つずつ年が離れた兄と妹がおり、漠然と3歳差でできたらいいなぁと思っていました。しかし、なかなかすぐには授からず…通院を考え始めます。

生理不順ではなかったし、夫も協力的でした。

息子は寝ない子で、2歳をすぎるとお昼寝も嫌がり、寝かせるのにとても苦労していました。夜も泣いて起きることも多く、慣れない子育てに必死で疲れていたとは思います。

それでも息子と過ごす毎日は楽しくて、成長が嬉しくて可愛くて、子どもはもう一人絶対欲しいと思っていました。

 

静岡時代に行った婦人科では、詳しい説明や検査もなく、いきなり薬の服用を勧められ、ショックと不信感から、通院をすぐやめました。

自分なりに、体を整えて、自然に授かろうと、前向きに頑張るつもりでした。

 

神戸へ引っ越して、息子も少しずつ幼稚園に慣れてきた頃、婦人科へ行くことにしました。

タイミングは取りながらも、やはりすぐに授かることはできず、また、時々カンジダに悩まされることもあったので、その治療と共に通院する事にしました。

その時の先生は女医さんで、不妊治療で有名なクリニックで働いていて、自身で開業したとのこと。

けれども少し淡々としていて、私はなんとなく毎回緊張してしまい、質問するのもいつもドキドキでした。

決して冷たいわけではないけれど、なんでも聞きやすいという感じではなかったなぁ。

いわゆる自分に合う先生ではなかったのかな、と思います。

 

こちらの婦人科では、タイミング指導と通水検査をしました。卵胞チェクをしてもらい、タイミング指導を受け、排卵検査薬をもらって帰宅。それを何周期か繰り返した後の通水検査。

検査結果は問題ありませんでした。

検査の時は怖くて不安で、涙が出たのを覚えています。

 

そうなるとなぜ、どうして、どんどん気持ちは焦ります。

幼稚園のお迎えでは一人っ子は少なく、みんな0歳〜2歳前後の弟や妹を連れていて、大変そうでしたが、可愛いし、うらやましかった。

 

そして夫の鬱。

妊活に対して、夫は協力的でしが、職場環境に慣れず、会社を休むようになりました。

引っ越しして約半年程して、息子が川崎病になり、母子で入院する事になったのですが、その頃から夫が少しずつ元気がなくなっていきました。

 

夫についてはまた次回書いていきます。

 

つづく。